サイコーを選択する
母によくケチだと言われる
私としては払うに値するモノなら糸目をつけずいくらでも払う
でも払うに値しないモノにはびた一文出さないだけで、徹底して無駄を嫌っているだけなの
そんな他人から見るとケチケチな根性が買い物に現れていたようで
フリマアプリやネットオークションでちまちまと買い物をすることで小さく欲求を満たしていた
どうせ私は気分屋だし、お洋服やアクセサリーなんてすぐ飽きるでしょと、ハナから高くて良い物を選ぶことをしていなかった
日々食べる間食にしても、どうせつなぎだしと安くてとりあえず腹がふくれる物ばかり買っていた
そんなことを20代に続けていたが、30となった今、深刻な問題が出てきた
自分にとって「良い物」の基準がわからなくなってしまったのだ
30代といえばもういい大人
チャチな物を身に付けるのは年不相応になってきた
そんな中で良い物を選ぼうとした時、培ってこなかった審美眼の貧弱さに戸惑うことになった
思い返してみれば若くても本当に良い物を買っていればあれこれと無駄な買い物をせずに済んだと思う
本当に良い物を食べた時は、不思議とたくさん食べなくても心身が満たされる
ジャンクな物だといくら食べても満たされない
薄々わかっていたものの自分の中の最高を選択してこなかった結果、何を与えれば自分が最高に喜ぶかがわからなくなってしまった…
過去を嘆いてもしょうがないので、毎日の間食を我慢せずに1番食べたいものを買うようにしている
ビールも第3のビールではなくクラフトビールを買うとか
こういう日々の小さい選択が、人生の大きな選択のセンスにつながってくるんではないかと思っている
そういや寺山修司も若い頃、貧乏なのに毎日のご飯を我慢して高級なブランド服を買って着ていたとか聞いたことあるような…
例え毎日最高の選択ができなくても、1度でも最高を味わっていればそれだけで経験値が上がる
最高を知る人はそこを目指して努力することもできる
だから今からじゃちょっと遅いかもしれないけれど、なるべく自分を最高に喜ばせる選択をする勇気を少しずつ出していきたいと思う